第二次世界大戦中の主な同盟

1939〜1941年、枢軸同盟

第二次世界大戦では、2 つの大きな同盟が結ばれました。枢軸国と連合国でした。

枢軸同盟の主要 3 か国はドイツ、イタリア、日本でした。これらの 3 か国は、ドイツによるヨーロッパ大陸の大部分の支配、イタリアによる地中海の支配、日本による東アジアと太平洋の支配を認めていました。

連合国を主導したのは英国、米国、ソビエト連邦でした。

枢軸同盟の形成

枢軸同盟の各国は、連合国のように外交政策や軍事政策を調整するための機関をつくることはありませんでしたが、同盟国に共通する 2 つの関心事がありました。

  • 領土拡大と軍事支配に基づく帝国の基盤づくりと第一次大戦後の国際秩序の打破
  • ソビエト連邦の破壊または中立化

1936 年 11 月 1 日、ドイツとイタリアはヨーロッパの秩序の不安定化という共通の利害を反映したローマ-ベルリン枢軸協定を発表しました。友好条約に調印した 1 週間後のことでした。それから約 1 か月後の 1936 年 11 月 25 日には、ナチスドイツと大日本帝国はソ連に対抗することを想定した、いわゆる防共協定を結びました。1937 年 11 月 6 日にはイタリアが防共協定に加わりました。1939 年 5 月 22 日、ドイツとイタリアはいわゆる鋼鉄協約に調印して、同盟関係に軍事規定を加えた正式なものとしました。さらに、1940 年 9 月 27 日にはドイツ、イタリア、日本が、枢軸同盟として知られるようになる三国同盟を締結しました。

同盟前の紛争

三国同盟以前にも、枢軸国の 2 か国はやがて第二次世界大戦の戦域となる紛争を起こしていました。1937 年 7 月 7 日、日本は中国に侵攻して太平洋での戦争を開始しました。ドイツは 1939 年 9 月 1 日にポーランドを侵攻し、ヨーロッパにおける戦争の引き金を引きました。イタリアは 1940 年 6 月 10 日、フランスの敗北が明らかになったときに枢軸国の一角として参戦しました。

ドイツによる枢軸への加盟圧力

ベルリン・東京・ローマ枢軸

1940 年 7 月、フランスの敗北から数週間後に、ヒトラーはナチスドイツのソ連侵攻を翌年春に行うことを決定しました。物資、ドイツ軍部隊の通行権、友好国からの部隊派遣のため、ドイツは南東ヨーロッパ諸国に枢軸に加わるよう巧みに、ときには強硬に働きかけ始めました。スロバキアには経済支援、ルーマニアには軍隊による保護とソ連の領土の一部を提示する一方、直前にチェコスロバキアとルーマニアの領土を併合したハンガリーに対しては、併合を支援したドイツの方針が、スロバキアやルーマニアに有利な方向に変わるかもしれないと警告しました。

イタリアは 1940 年終盤から 1941 年始めにかけて行ったギリシャ侵攻に失敗し、ドイツは戦域の南東側面であるバルカン半島の確保に対する懸念を深めました。ギリシャが参戦し、北部ギリシャとアルバニアで勝利を収めたことにより、英国はギリシャで枢軸国に対しバルカン半島の前線を開くことができ、ナチスドイツの侵攻作戦には欠かせないルーマニアの油田を脅かす可能性が出てきました。ギリシャを制圧し、英国をヨーロッパ本土から排除するため、ナチスドイツの部隊はユーゴスラビアとブルガリアを通過しなくてはなりませんでした。

ハンガリー
ギリシャ・イタリア戦争が始まった 1940 年 10 月 28 日以降、ドイツのハンガリーおよびバルカン諸国に対する圧力は強まりました。経済面での優遇措置、直前のトランシルバニア北部の併合に対するドイツの支援への配慮、将来的な全トランシルバニアの獲得に向けた枢軸国の支援への期待などから、ハンガリーは 1940 年 11 月 20 日に枢軸同盟に加わりました。

ルーマニア
1940 年 10 月にドイツの進駐を受け入れたルーマニアは、1940 年 11 月 23 日に枢軸同盟に加わりました。ルーマニアは、ドイツのソ連侵攻を忠実に支援して石油を提供することで、ソ連の脅威を退け、1940 年 6 月にソ連に併合された領土を取り戻し、北トランシルバニアの返還に向けてドイツの支持を得たいと考えていました。

スロバキア
「独立」国としての存在そのものが、政治的にも経済的にもドイツに依存するものだったため、11 月 24 日、スロバキアが後に続きました。

ブルガリア
ブルガリアの指導者はソ連との戦争に巻き込まれるのを避けるため、またユーゴスラビアは名目上はギリシャの同盟国であったため交渉を引き延ばし、ドイツからの圧力に抵抗しました。ブルガリアはトラキアにあるギリシャの領土をドイツから譲渡され、ソ連への侵攻への参加を免除された後の 1941 年 3 月 1 日に枢軸同盟に加わりました。

ユーゴスラビア
ドイツが枢軸同盟部隊の通行権を求めることなく、ギリシャとの戦闘におけるユーゴスラビアの中立性を認めると、ユーゴスラビアは 1941 年 3 月 25 日、しぶしぶ枢軸同盟に加わりました。その 2 日後、セルビア人の将校が三国同盟に調印した政府を倒しました。

クロアチア独立国
続く 4 月のドイツ、イタリア、ハンガリー、ブルガリアによるユーゴスラビア侵攻とその解体の後、新しく建国されたいわゆるクロアチア独立国が 1941 年 6 月 15 日に枢軸国に加わりました。

フィンランド
1941 年 6 月 26 日、枢軸国によるソ連侵攻の 4 日後、フィンランドは 1939~1940 年の冬戦争で失った領土の回復を求め、「共戦国」としてソ連との戦争を開始しました。フィンランドは三国同盟には調印しませんでした。

日本が 1941 年 12 月 7 日にハワイの真珠湾に係留されていた艦隊に奇襲攻撃をかけ、その後 1 週間もしないうちにドイツとヨーロッパの枢軸国が米国に対して宣戦布告したことで、大西洋戦争と太平洋戦争はまさに世界戦争となりました。

連合国の勝利

ナチスドイツの打倒、1942〜1945年

英国、米国、ソ連が主導した連合国が枢軸国を破り、第二次世界大戦に勝利しました。

イタリア
イタリアは、ファシストの指導者であった独裁者ベニート・ムッソリーニをファシスト党が追放した 6 週間後の 1943 年 9 月 8 日、枢軸同盟の中で最初に降伏しました。

ルーマニア
1944 年 8 月 23 日、独裁者のイオン・アントネスク元帥の追放後、ルーマニアは連合国に加わりました。ルーマニア部隊は終戦までソ連軍とともに戦いました。

ブルガリア
ブルガリアは停戦の申し出をソ連に拒絶された後、1944 年 9 月 8 日に降伏し、共産党が率いる祖国戦線がクーデターにより枢軸政権から権力を奪い、ナチスドイツに対して宣戦布告しました。

フィンランド
1944 年 9 月 19 日、フィンランドはソ連と停戦協定を結びました。

ハンガリー
1944 年 3 月にドイツはハンガリーを占領し、ハンガリーの指導者が(後にルーマニアがするように)枢軸同盟から脱退するという事態を避けるという第一の目的を達成しました。ハンガリーは最後まで降伏することはなく、ハンガリーの戦争は 1945 年 4 月初旬、ソ連により最後の枢軸同盟軍であるハンガリーの軍隊と警察隊、矢十字党政府のメンバーがハンガリーの西の国境からオーストリアに押し出されるまで続きました。

スロバキア
1944 年の夏、スロバキア民衆蜂起を制圧するためドイツ軍によって占領されたスロバキアは、1945 年 4 月にソ連が首都のブラチスラバを解放するまで、傀儡政権による国家として枢軸国に留まりました。

クロアチア
狂信的なクロアチア・ウスタシャ党の残党は、1945 年 4 月の終わり頃、チトーのパルチザンにより逮捕されたか、国境を越えてドイツに占領されていたスロベニアやオーストリアへと追い立てられました。

日本
1945 年 5 月 7 日、ヒトラー自殺の 7 日後、ナチスドイツは連合国に無条件降伏しました。日本は単独で戦い続けましたが、1945 年 9 月 2 日、正式に降伏しました。