ロージア・ジュスキント
生まれました: 1922
ポーランド、コルブショバ
ロージアは、コルブショバの町でユダヤ人家族のもとに生まれました。家族は、町はずれのロージアの叔父たちの近所に住んでいました。ジュスキント家は製粉工場と製材工場を所有していました。ジュスキント家は地元でも数少ない電気が通っていた家屋に住んでおり、電力は所有していた工場で発電していました。ロージアには姉のハンカと、兄のヤネクがいました。
1933年〜1939年: 1930年代の初め、ジュスキント家の工場が火事で全焼しました。姉のハンカはクラクフに引っ越して大学で学び、結婚しました。兄のヤネクはコルブショバのユダヤ人銀行に勤めていました。ジュスキント家にはロージアに学校を続けさせる余裕がなかったため、ロージアはお針子になるために弟子入りしました。1939年ドイツ軍がポーランドに侵攻すると、ハンカは夫と共にコルブショバに戻り、ヤネクとロージアの父と共にソ連に逃れました。17歳だったロージアは、癌を患っていた母と共にコルブショバに残りました。
1940年〜1942年: ロージアの母は1940年1月に亡くなりました。1941年、ドイツ軍がコルブショバにユダヤ人ゲットーを設置し、ロージアと叔父たちはそこに移住させられました。ゲットーにいた多くのユダヤ人と同様に、ロージアも道路の清掃や雪かき、ドイツ人家庭の掃除などを強いられました。1942年6月20日、ドイツ軍は、コルブショバのユダヤ人に、3日以内に自宅を退去し、32キロ離れたジェシェフのゲットーに移住するように命じました。
1942年7月7日、ロージアと叔父たちはジェシェフのゲットーからベウジェツ絶滅収容所に移送され、そこで殺害されました。