Elie Wiesel became Founding Chairman of the United States Holocaust Memorial Council in 1980.

エリ・ヴィーゼル

エリ・ヴィーゼル。アウシュビッツ収容所からの生還者。『Night(夜)』の著者。人権活動家。ヴィーゼルは世界にホロコーストの事実を伝えることに人生を捧げました。1986 年にはノーベル平和賞を受賞しています。

主要事実

  • 1

    エリ・ヴィーゼルは 1944 年 5 月に、家族とともにアウシュビッツに収容されました。収容所では強制労働に従事するよう選別され、モノビッツやブーヘンバルト強制収容所に収監されました。

  • 2

    ヴィーゼルは戦後、ホロコーストの記憶を風化させず、そこから学ぶことを人々に説き続け、The United States Holocaust Memorial Museum(米国ホロコースト記念博物館)創設の推進力となりました。

  • 3

    1986 年、エリ・ヴィーゼルは人権の擁護と世界の平和を守る活動を評価されてノーベル平和賞を受賞しました。

この夜のことを、私の人生をば、七重に閂をかけた長い一夜に変えてしまった、収容所での第一夜のことを、けっして私は忘れないであろう。
この煙のことを、けっして私は忘れないであろう。
子どもたちのからだが、押し黙った蒼穹のもとで、渦巻きに転形して立ちのぼってゆくのを私は見たのであったが、その子どもたちのいくつもの小さな顔のことを、けっして私は忘れないであろう。
私の信仰を永久に焼き尽くしてしまったこれらの炎のことを、けっして私は忘れないであろう。
生への欲求を永久に私から奪ってしまった、この夜の静けさのことを、けっして私は忘れないであろう。
私の〈神〉と私の魂とを殺害したこれらの瞬間のことを、また私の夢を灰に変えた瞬間のことを、けっして私は忘れないであろう。
たとえ私が〈神〉ご自身と同じく永遠に生きながらえるべき刑に処せられようとも、そのことを、けっして私は忘れないであろう。
—エリ・ヴィーゼル著『Night(夜)』からの抜粋

エリ・ヴィーゼルについて

エリ・ヴィーゼル(1928~2016)はホロコーストの生存者の中でも著名な人物であり、世界的な名声を得た作家であり、人権の擁護者でした。処女作である『Night(夜)』は、十代の時に体験したアウシュビッツでの受難を記した小説で、ホロコースト文学の古典的作品となっています。1986 年にはノーベル平和賞を受賞しました。

ヴィーゼルは 1928 年 9 月 30 日にトランシルバニアのシゲトゥ(ルーマニア。1940 年から 1945 年の間はハンガリーの一部)で生まれました。1944 年に彼は家族とともにアウシュビッツに移送されました。ホロコーストを生き延びたのは彼と、3 人いた姉妹のうちの 2 人だけでした。

第二次世界大戦後、ヴィーゼルはジャーナリストになり、作家として数多くの著作を記し、大学教授として、また人権活動家としても活躍しました。ユダヤ教学の優れた学者であった彼はニューヨーク市立大学(1972~1976)で教鞭をとっていました。1976 年にアンドリュー・W・メロン財団の教授としてボストン大学で人文科学を受け持ち、同大学で教授職も得ています。1982 年から 83 年の学年度にかけて、ヴィーゼルはヘンリー・ルース財団初の客員研究員として、イェール大学で人文科学と社会思想を教えました。 

ヴィーゼルはホロコーストの記憶を風化させず、そこから学ぶことを人々に説き続けました。The United States Holocaust Memorial Museum(米国ホロコースト記念博物館)創設の推進力にもなりました。自身が目の当たりにした大量虐殺の体験に駆り立てられ、ヴィーゼルは世界中で虐げられている人々に代わって声をあげました。ノーベル委員会は、「人類に平和や贖罪、人の尊厳を訴えかける使者」という点を評価し、ヴィーゼル氏にノーベル平和賞を授与しました。

エリ・ヴィーゼルは 2016 年 7 月 2 日に 87 歳で亡くなりました。

ホロコーストにおけるエリ・ヴィーゼルの収容所体験

1944 年 3 月、ナチスドイツは同盟国であるハンガリーを占領しました。ドイツ当局に協力したハンガリーの当局者たちによって、1944 年 5 月 15 日から 7 月 9 日の間に 440,000 人近いユダヤ人が強制的に移送されました。主な移送先であったアウシュビッツでは、大勢のユダヤ人が殺害されています。最初に移送されたのがシゲトゥのユダヤ人であり、その中にヴィーゼルと彼の両親、3 人の姉妹もいました。当時彼は 15 歳でした。 

ヴィーゼル一家はアウシュビッツ=ビルケナウに送られました。ビルケナウは強制収容所としてだけでなく、抹殺センターとしても使われた施設でした。一家が収容所に到着すると、母サラと末の妹ツィポラは選別を受けて、ガス室で殺害されました。2 人の姉、ベアトリスとヒルダは選別により強制労働に従事することになり、戦争を生き延びました。 

ヴィーゼルと父シュロモも選別を受けて強制労働を命じられました。ヴィーゼルにはアウシュビッツ第 3 収容所(モノビッツ)にあるブナ(合成ゴム)工場での労働が割り当てられました。その後、彼は父とともにアウシュビッツからブーヘンバルト強制収容所に移され、父はそこで命を落としました。 

ヴィーゼルの最初の著作:『La NuitNight(夜))』

大戦後、ヴィーゼルはパリで学び、ジャーナリストになりました。彼はアウシュビッツやブーヘンバルト強制収容所に収容されていた時にどのような目に遭ったのかを、ほぼ 10 年もの間、人に語ろうとはしませんでした。そして 1954 年にインタビューをしたフランス人のフランソワ・モーリヤックに説得され、ついに沈黙を破りました。その結果生まれた作品が『La NuitNight(夜))』です。1958 年の刊行以来、『La NuitNight(夜))』は 30 か国語に翻訳され、販売された数は数百万冊に上ります。 

Night(夜)』の中でヴィーゼルは、ナチスが行ったホロコーストでの体験を書いています。中でも注目すべきは以下の点です。  

  • ルーマニアの都市シゲトゥでヴィーゼルの一家や隣人たちが集められた。
  • 家畜運搬貨物列車に乗せられてアウシュビッツ=ビルケナウの強制収容所に連れてこられた。
  • 選別の過程でヴィーゼルの母親と妹はガス室に送られそのまま殺害された。
  • 同じ選別の過程でヴィーゼルと父親、2 人の姉は収容所の所員により強制労働に選ばれた。
  • アウシュビッツ=ビルケナウからブーヘンバルト強制収容所に向かう死の行進。

上記の出来事に加え、収容所の過酷さはヴィーゼルら囚人たちから人間性を奪うものであり、精神的にも肉体的にも極度の苦痛を味わったことが描かれているほか、宗教上の煩悶や信仰の危機についても述べられています。  

作家としてのエリ・ヴィーゼル

ヴィーゼルは多作な作家であり、思想家でもありました。『Night(夜)』だけでなく 40 冊を超える本を著し、数々の文学賞を受賞しています。その著作には次のようなものがあります。

  • メディシス賞を受賞した『A Beggar in Jerusalem(エルサレムの乞食)』(1968 年)。
  • リーアンテール賞を受賞した『The Testament(遺言)』(1980 年)。
  • パリ市文学賞の大賞を贈られた『The Fifth Son(5 番目の息子)』(1983 年)。

著作の中には 2 巻本の自伝もあり、第 1 巻は『All Rivers Run to the Sea(そしてすべての川は海へ ― 20 世紀ユダヤ人の肖像)』(1995 年)。第 2 巻は『And the Sea is Never Full(20世紀ユダヤ人の肖像 2 ― しかし海は満ちることなく)』(1999 年)という題名で刊行されています。

人権活動家としてのエリ・ヴィーゼル

1978 年、米国の大統領ジミー・カーターはヴィーゼルをホロコーストに関する大統領諮問委員会の委員長に指名しました。ヴィーゼルは委員会の報告書の中で、ホロコーストの犠牲者を追悼し記憶するための博物館をワシントン DC に建設するよう政府に提言しました。 

1980 年、ヴィーゼルは The United States Holocaust Memorial Council の初代委員長となり、委員会の提言を実行に移す責任ある立場に就きました。彼は The United States Holocaust Memorial Museum(米国ホロコースト記念博物館)が現代と未来を生きる世代が憎悪に立ち向かい、ジェノサイドを防ぎ、人間の尊厳を重んじようという意欲を奮い立たせてくれる「リビング・メモリアル(生きた記念碑・追悼施設)」になると信じていました。

1992 年、ヴィーゼルはパリを拠点に設立された Universal Academy of Cultures(世界文化アカデミー)という人権団体の初代学長に就任しました。

世界各国で人権の擁護と平和活動に取り組んだヴィーゼルは、大統領自由勲章や議会名誉黄金勲章、Medal of Liberty Award(自由勲章)、レジオンドヌール勲章のグランクロワなど数多くの栄誉を得ており、高等教育機関から授与された名誉学位の数は 100 を超えます。 

1986 年、エリ・ヴィーゼルはノーベル平和賞を受賞しました。ノーベル委員会は報道向けの発表の中でヴィーゼルを次のように評しています。

ヴィーゼル氏は人類に平和や贖罪、人の尊厳を訴えかける使者だ。結束によって世の中の悪を打ち破ることができるという彼の信念は、困難の末に得られるものだ。氏のメッセージの根本にあるのは、ヒトラーが作り出した絶滅収容所で、屈辱的で人間性をまったく無視した扱いを受けたという個人的な体験である。メッセージは偉大な著者による作品の全編にわたって証言の形をとり、深刻な思いが繰り返して語られている

ノーベル平和賞を受賞した 3 か月後、エリ・ヴィーゼルは妻のマリオンとともに The Elie Wiesel Foundation for Humanity(エリ・ヴィーゼル・ヒューマニティー財団)を設立しました。この財団の使命は、人類の前にたちはだかる喫緊の倫理的問題を話し合う場を新たに設けることで、全世界で人権や平和のための活動を推進することにあります。

エリ・ヴィーゼル賞 

エリ・ヴィーゼル賞は The United States Holocaust Memorial Museum(米国ホロコースト記念博物館)の主催で年に 1 回受賞者を選定する賞です。この賞は当館が理想とする、人々が憎悪に立ち向かい、ジェノサイドを防ぎ、人間の尊厳を重んじる世界に近づけるような活動に関わり、国際的に活躍した個人を表彰するものです。2011 年に The United States Holocaust Memorial Museum Award(米国ホロコースト記念博物館賞)として創設され、第 1 回目の受賞者であるエリ・ヴィーゼルにちなんで改称されたこの賞は、当館最高の栄誉です。

よくある質問

エリ・ヴィーゼルは姉妹と再会できたのですか。

ヴィーゼルは収容所から解放された後、姉のベアトリスとヒルダと再会しています。戦後ヴィーゼルはフランスの孤児院に移り、そこで写真撮影を行いました。その写真が新聞に載っているのをヒルダが見つけたことで、姉と弟はパリで再会を果たすことになったのです。その数か月後、2 人はベアトリスも生き延びていたことを知ります。しかし妹のツィポラは、アウシュビッツで殺害されました。 

他の家族は生き延びることができたのですか。

姉のベアトリスとヒルダは生き残りましたが、両親であるサラとシュロモ、妹のツィポラは殺されました。

エリ・ヴィーゼルが亡くなったのはいつのことですか。

エリ・ヴィーゼルは 2016 年 7 月 2 日に 87 歳で亡くなりました。

エリ・ヴィーゼルはなぜノーベル平和賞を受賞したのですか。

エリ・ヴィーゼルは世界各国での人権擁護活動や平和活動への取り組みが評価されて、ノーベル平和賞に選ばれました。1986 年にノーベル委員会は「ヴィーゼル氏は人類に平和や贖罪、人の尊厳を訴えかける使者だ」と評しました。 

が終わりを迎えた時、ヴィーゼルは何歳でしたか。

が終わった時、エリ・ヴィーゼルは 16 歳の少年でした。 

エリ・ヴィーゼルが移送されたすべての収容所を教えてください。

エリ・ヴィーゼルは 1944 年 5 月にアウシュビッツ=ビルケナウに移送されました。その後、強制労働に就くためアウシュビッツの第 3 収容所であるモノビッツに送られました。モノヴィッツは中心となる収容所から数キロ離れた位置にありました。1945 年 1 月にはブーヘンバルト強制収容所に移送されています。 

エリ・ヴィーゼルはホロコーストの前後で神への信仰をどのように語っていますか。

エリ・ヴィーゼルは自身と神との関係についての思索を著作や講演、インタビューの中で語っています。自伝である『Night(夜)』の冒頭では、少年の頃の信仰心の篤さや自身が受けた宗教的な教育について語られています。『Night(夜)』の中でアウシュビッツでの非人道的な行いを目にしたヴィーゼルは、神に疑念を抱くようになったと綴っています。強制収容所を解放されて 50 年以上経ってから、彼は次のように思い返しています。「宇宙の主宰者たる御身への、私の信仰心はどうだろう。生涯の最も暗憺たる時でさえ、けっして信仰を失わなかったことを今では知っている」

脚注

  1. Footnote reference1.

    エリ・ヴィーゼル著『The Night Trilogy: Night, Dawn, Day(夜三部作:夜、夜明け、昼)』、マリオン・ヴィーゼル訳(ニューヨーク:Hill and Wang、2006)、52 ページ。

  2. Footnote reference2.

    「The Nobel Peace Prize for 1986」、NobelPrize.org、Nobel Media AB 2021、2021。

  3. Footnote reference3.

    エリ・ヴィーゼル著『A Prayer for the Days of Awe(畏怖の日々の祈り)』、ニューヨークタイムズ、1997 年 10 月 2 日、https://www.nytimes.com/1997/10/02/opinion/a-prayer-for-the-days-of-awe.html。

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