ベノーは若い頃、外国語のスキルを活かして小さな役で映画に出たこともありました。彼と彼の家族はウッチゲットーに移送されました。そこでは、毎日が飢えとの戦いでした。ベノーは、地下組織の鉄道脱線のエキスパートになりました。家族はアウシュビッツに送られたため、離ればなれとなりました。ベノーと姉妹1人を除く家族全員が亡くなり、戦後、ベノーは彼女と再会することができました。ベノーはいくつかの収容所を経て生き残り、戦争後に戦争犯罪人の追跡に協力しました。
どこに行っても死体だらけでした。最初の数人の遺体には衝撃を受けましたが、多く見るにつれてだんだん慣れてしまい、まるで自分の本質の一部であるような気がしてしまうのです。と言うより、死体を見ても、自分と切り離して考えます。全くの他人ごととして、自分とは関係がない、と考えます。また、衛生状態も非常に悪いものでした。暮らしていた建物の中もひどかったです。冬は、トイレは凍っていました。まさに氷のようでした。あちこちに汚物が飛び散り、あふれていました。また、強制労働もたびたび課されました。私は、ある1つの事件を忘れられません。私たちは屋内に連れて行かれました。ドイツ兵がやってきて、みなを一列に並べました。全員が、半円状に並ばされました。半円のなかで立っているのです。子供を連れた女性もいました。そして、(ため息)ドイツ兵が「これは誰の子供か」と聞くのです。母親は、知らん顔をしていました。すると、ドイツ兵は子供の両足を持ってぶら下げ、壁に打ち付けました。子供の息は絶えました。母親を見ると、まったく他人のような顔をしていました。彼女は、自分の感情からこの子供のことを完全に切り離していたのです。子供のことは、まるで関係がない世界のことのようでした。人間は、極限状態に置かれると、我が身を守ることを優先するものだとそのときに悟りました。自分の子供よりも優先するのだと。
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