ジュリアン・ノガ

ジュリアン・ノガ

生まれました: 1921年7月31日

ポーランド、スクシンカ

ジュリアンの両親はカトリック教徒のポーランド人で、第一次世界大戦前に米国に移住していましたが、母親はポーランドに戻り、ジュリアンは、ポーランド南部のタルヌフという大きな町にほど近い村で生まれました。ジュリアンは、スクシンカにある4エーカーもの農場で母親によって育てられました。父親はそのまま米国にとどまりました。

1933年〜1939年: 私は16歳で家を出て、タルヌフの下町にある優雅なユダヤ人クラブの皿洗いとして働き始めました。1939年9月にドイツ軍が侵攻すると、私は村に戻りました。そこでは、私の知り合いである27人のユダヤ人が自分の墓を強制的に掘らされた後、射殺されました。私は、近くの森で、撤退したポーランド兵士が置いていったライフル銃を見つけ、それを隠しておきました。しかし、私は密告され、リンツ近郊のお金持ちの地主の農場で働くためにオーストリアへ移送されました。

1940年〜1944年: 私は、フリーダという地主の娘と恋仲になりました。彼女の父親が反対すると、フリーダは別の農場へ移っていきました。ナチスによってポーランド人とドイツ人の交際が禁じられていたにもかかわらず、私達はひそかに会い続けていました。ゲシュタポに、「フリーダにまた会うようなことがあったら、お前は絞首刑になるぞ。」と脅されました。私は別の農場に再配属されましたが、1941年9月19日に逮捕されるまで、私達は会い続けていました。私は近くの刑務所に投獄されましたが、それからフロッセンビュルクに移され、そこで石切り場での過酷な労働に従事しました。

ジュリアンは1945年4月23日、フロッセンビュルグからの死の行進の最中に解放されました。戦後再会したジュリアンとフリーダは結婚して、米国に移住しました。

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