ホロコーストの否定:重要な日付
この年代記では、ホロコーストの否定が辿った過程におけるいくつかの重要な出来事を示します。
ホロコースト否定論とは
ホロコーストは、歴史上で最も多くの文書に記録された出来事です。「ホロコースト否定論」は、ナチスによるヨーロッパのユダヤ人の大量殺戮という事実を否定しようという試みです。一般的な主張は、第二次世界大戦中における 600 万人のユダヤ人殺害はなかった、ナチスにはユダヤ人を絶滅させる公式な政策や目的はなかった、そして、アウシュビッツ・ビルケナウの絶滅収容所に毒ガス室は存在しなかったというものです。
最近では、ホロコーストの事実の歪曲が見られます。一般的な歪曲には、死亡した 600 万人のユダヤ人という数は誇張である、強制収容所における死亡は病気や飢餓によるもので政策によるものではない、そしてアンネ・フランクの日記は偽物であるというものがあります。
ホロコーストの否定は、一般的にユダヤ人に対する憎悪が動機となり、ホロコーストはユダヤ人の利益のための陰謀の一部としてユダヤ人によって捏造または誇張されたという非難の上に成り立っています。このような見方は、陰謀と世界征服を図ったとしてユダヤ人を非難することによって、長年にわたる反ユダヤ主義の既成概念だけでなく、ホロコーストの原因となった憎悪も永続させるものです。
ホロコーストの歪曲は反ユダヤ主義と無関係ではないかもしれませんが、相手に対する敬意や意識の欠如から生じる場合もあります。動機の如何にかかわらず、ホロコーストの歪曲は、ホロコーストの現実に疑問を投げかけるため、より危険な形で否定と反ユダヤ主義を表面化させる可能性を開いてしまいます。
アメリカ合衆国憲法では言論の自由が保障されています。したがって、米国では、差し迫った暴力的脅威がある場合を除き、ホロコーストを否定することや反ユダヤ主義の差別発言をすることは違法ではありません。ホロコーストが行われたヨーロッパを中心とするその他の多くの国では、ホロコーストの否定や差別発言を犯罪とする法律があります。
重要な出来事
この年代記では、ホロコーストの否定が辿った過程におけるいくつかの重要な出来事を示します。
1942~44 年
ヨーロッパのユダヤ人の絶滅を試みた証拠を隠蔽するために、ドイツ軍とその協力者が、コード名「Aktion 1005」という作戦において、ベルジェツ、ソビボル、およびトレブリンカ絶滅収容所、そしてドイツ占領下のポーランド全土、ドイツ占領下のソ連、およびバビ・ヤールを含むセルビアでの大量射殺作戦の現場の集団墓地の証拠を破壊。
1943 年
親衛隊長官(Reichsführer)のハインリヒ・ヒムラーが、ポズナンでの親衛隊大将へのスピーチでヨーロッパのユダヤ人の大量殺戮は極秘であり記録すべきではないと発言。
1955 年
ウィリス・カルトが、後にリバティ・ロビーとして知られるようになる強い影響力を持つ極右グループをワシントン DC に設立。リバティ・ロビーは 2001 年に破産するまでカルトが指揮し、「民族的に純粋な」米国を主張して、米国と世界が抱える問題についてユダヤ人を非難。リバティ・ロビーはホロコースト否定を主張する著書の出版を 1969 年に開始。
1959 年
米国の牧師ジェラルド・L・K・スミスが反ユダヤ主義の『Cross and the Flag』(十字架と旗)を出版し、600 万人のユダヤ人はホロコーストで殺害されたのではなく、第二次世界大戦中に米国に移住したと主張。
1964 年
ナチスに抑留された経験のあるフランスの共産主義者ポール・ラッシニエが『The Drama of European Jewry』(ヨーロッパのユダヤ人のドラマ)を出版し、ガス室は「シオニスト団体」のでっち上げと主張。
1966~67 年
米国の歴史家ハリー・エルマー・バーンズが自由主義の定期刊行誌『Rampart Journal』(ランパート・ジャーナル)に投稿した記事で、連合軍が枢軸国に対する戦争を正当化するためにナチスの残虐行為を誇張したと主張。
1969 年
リバティ・ロビーの子会社であるヌーンタイド出版が『The Myth of the Six Million』(600 万人という神話)というタイトルの書籍を出版。
1973 年
フィラデルフィアのラサール大学で教鞭をとる英文学の教授オースティン・J・アプが『The Six Million Swindle: Blackmailing the German People for Hard Marks with Fabricated Corpses』(600 万という詐欺:捏造された死体でドイツ人を恐喝)というパンフレットを発行。このパンフレットは、その後のホロコースト否定論の基盤となる。
1976 年
ノースウェスタン大学工学部のアーサー・R・バッツ教授が『The Hoax of the Twentieth Century: The Case Against the Presumed Extermination of European Jewry』(20 世紀のでっち上げ:ヨーロッパのユダヤ人の推定絶滅の反対事例)を出版。バッツは、自身の嘘を隠蔽するために学問的厳密性を偽った最初のホロコースト否定主義者。ノースウェスタン大学は、バッツの主張を大学の「恥」として対応。
1977 年
カナダ在住のドイツ人エルンスト・ツンデルがサミスダット出版を設立し、ホロコースト否定を含むネオナチの書籍を出版。1985 年、カナダ政府は偽りであることを承知で情報を配布した罪でツンデルを起訴。
1977 年
デビット・アービングが『Hitler's War』(ヒトラーの戦争)を出版し、ヒトラーはヨーロッパのユダヤ人の大量殺戮に関するナチスの政策を命令したことや許容したことはないと主張。アービングは、自身の論文に正当性を与えるために歴史的証拠と学術的手法を歪曲。
1978 年
ウィリアム・デビッド・マカルデン(ルイス・ブランドン)とウィリス・カルトが、ホロコーストを否定する資料の出版と会議の後援を行う Institute for Historical Review(IHR)をカリフォルニアに設立。IHR は有効な学術調査を装って、その人種差別主義的メッセージを隠蔽。
1980 年
IHR はユダヤ人がアウシュビッツでガスを浴びたことを証明できる人に 5 万ドルの報奨金を約束。生存者のメル・メーメルスティーンはアウシュビッツでの自らの抑留の宣誓供述書を提出するも、IHR が支払いを拒否したため同研究所を提訴。1981 年 10 月、高等裁判所のトーマス・T・ジョンソン判事は、裁判所が申立ての趣旨を事実と認める「司法通知」によって、ホロコーストもユダヤ人がアウシュビッツで毒ガスを浴びせられたことも事実であると裁決。
1981 年
フランスの裁判所が、ホロコーストを「歴史的嘘」として憎悪と差別を扇動した罪で人文学教授ロベルト・フォーリソンを有罪と裁定。
1984 年
画期的な裁判において、カナダの裁判所が、社会科の授業でホロコースト否定論およびその他の反ユダヤ主義を支持して「識別可能なグループに対する憎悪を故意に促進」した罪で公立学校教師ジェームス・キーグストラを有罪と裁定。
1985 年
当時の西ドイツの刑法に、ホロコーストの否定に結び付けて憎悪を煽る行為を禁止する条項を新たに追加。ドイツ政府は 1992 年、1994 年、2002 年、2005 年、2015 年に同法を改正し、これを強化。
1986 年
7 月 8 日、イスラエル国会がホロコーストの否定を犯罪とする法案を可決。
1987 年
カリフォルニアに拠点を置くブラッドレイ・スミスがホロコーストに関する公開討論委員会を設立。1990 年代前半、スミスの組織は、「The Holocaust Story: How Much is False? The Case for Open Debate」(ホロコーストの物語:嘘の値段 - 公開討論の事例)という見出しで見開き広告や社説を展開。スミスのキャンペーンでは、憎悪を利用したビジネスと言論の自由が曖昧にされる。
1987 年
フランスの極右組織ナショナル・フロント党の指導者ジャン・マリー・ルペンがガス室は第二次世界大戦の「細部」でしかないと主張。ルペンは 1988 年にフランス大統領選に出馬し、第 4 位の票を獲得。
1987 年
スウェーデン在住のモロッコ人作家アーメッド・ラミがスウェーデンのラジオ・イスラムで放送を開始し、ホロコーストはシオニストやユダヤ人の申し立てと主張。後にラジオ・イスラムは『The Protocols of the Elders of Zion』(シオン賢者の議定書)、『Mein Kampf』(我が闘争)などの反ユダヤ主義テキストを Web サイトに投稿。
1988 年
アーネスト・ツンデルの要請に応じて、フレッド・ロイヒター(処刑方法に関する自称専門家)がアウシュビッツ絶滅収容所跡を視察し、後に『Leuchter Report : An Engineering Report on the Alleged Execution Gas Chambers at Auschwitz, Birkenau and Majdanek, Poland』(ロイヒターレポート:ポーランドのアウシュビッツ、ビルケナウ、マイダネクのガス室での処刑に関する技術報告書)を発行。このレポートは、大量殺人の目的でのガス室の使用を疑問視するホロコースト否定主義者に多く引用される。
1989 年
白人至上主義者のデビッド・デュークがルイジアナ州議会に議席を獲得。デュークは自身の法律事務所からホロコーストを否定する文献を販売。
1990 年
フランス政府が、(1945 年のロンドン憲章で定義された)人道に対する罪の規模または存在を疑問視することを犯罪行為とするゲソ法を制定。同法は多くの欧州諸国にとって刺激となり、1990 年代および 2000 年代初頭に同様の法律の採択を促進。
1990 年
マサチューセッツ州によるフレッド・ロイヒターに対する刑事起訴において、ロイヒターが工学の学位や資格を持っていないことが判明。ロイヒターは、1988 年に発行されホロコースト否定主義者によって多く引用された『Leuchter Report』(ロイヒターレポート)の主張において重要な要素である生物学、毒物学、および化学のいずれにおいても専門的な講義を受けていないことを認める。
1990 年
スウェーデンの裁判所が、「差別発言」を行ったとしてアーミッド・ラミに 6 か月の懲役刑を言い渡し、ラジオ・イスラムの放送免許を 1 年間剥奪。
1991 年
最も古い歴史家の専門組織であるアメリカ歴史学会が、「ホロコーストが行われたことに疑問を呈する真面目な歴史家はいない」という声明を発表。
1992 年
オーストリア政府が 1947 年の禁止法を改正し、ホロコーストの否定および軽視を犯罪行為に指定。
1998 年
ポーランド政府が「ポーランド国民に対する犯罪の訴追のための国家記銘院に関する法律」を採択。ナチス占領期と共産主義時代にポーランドで行われた犯罪に関するデータ収集を求める重要な法案であり、ホロコーストの歴史に対する否定や歪曲の是正を求める条項も規定。
1999 年
ポーランドの都市オポーレの地方裁判所が、ホロコーストを否定する内容の文献を自費出版した罪で地元大学の教授ダリウシュ・ラタイジャックに有罪判決。
2000 年
46 か国の政府がホロコーストに関するストックホルム国際フォーラム宣言(外部リンク)への支持を表明し、その内容に合意。「ストックホルム宣言」の通称でも知られるこの宣言は、ホロコーストの研究、教育、追悼の永続性を守り、「ホロコーストを否定する者たちに対して、ホロコーストの恐るべき真実を認める」ことを約束するもの。
2000 年
英国の裁判所が、デビッド・アービングを「活動的なホロコースト否定主義者」と判断。アービングは、1993 年に『Denying the Holocaust The Growing Assault on Truth and Memory』(ホロコーストの真実:大量虐殺否定者たちの嘘ともくろみ)を出版したエモリー大学の歴史家デボラ・リプスタットを名誉棄損で訴えていた。
2002 年
アラブ首長国連邦(UAE)に拠点を置くアラブ連盟のシンクタンク、ザイド・センター・フォー・コーディネーション・フォローアップが、「反ユダヤ主義」をテーマにしたシンポジウムを開催。シンポジウムではホロコーストを「偽りの作り話」と呼ぶ。同センターの反米・反ユダヤ主義的な出版物や講演会に対して外部からの圧力があり、UAE 政府は 2003 年 8 月にセンターを閉鎖。
2002 年
ルーマニアで、第二次世界大戦中に 28 万人のユダヤ人と 1 万 1,000 人のロマ族(ジプシー)の死を監督したファシスト寄りの独裁者イオン・アントネスク将軍の名誉を、公的に回復させようとする動きが強まっていることを受け、ホロコーストの否定を有罪とする緊急法令を可決。
2002 年
スウェーデンの裁判所は、差別発言が規制される中で第三帝国時代のパンフレット『The Jewish Question』(ユダヤ人の問題)を再出版した罪で、ネオナチのフレドリック・サンドバーグに 6 か月の懲役刑を宣告。
2003 年
欧州人権裁判所が、フランスを相手取ったガロディの訴訟で、欧州人権条約で保護されていないホロコーストの否定にロジェ・ガロディが関与していたと判断。
2003 年
ヴォルフガング・フレーリヒが 2001 年に『Die Gaskammaer Luege』(ガス室の嘘)の出版後、ウィーンで逮捕され懲役 3 年の宣告を受ける。1 年後に釈放されるが、2015 年にはホロコーストは起こりえなかったと主張する手紙をオーストリア首相に宛てて書くなど、その後もホロコーストを否定する事例が続いたため、再逮捕や刑期の延長を受けた。
2003 年
ルーマニア政府が、エリ・ヴィーゼルを委員長とするルーマニアのホロコーストに関する国際委員会を設立。ルーマニア人と外国人の歴史家 30 人の委員で構成。ルーマニアにおけるホロコーストの歴史の調査を通じて事実を明らかにし、その研究成果を国内外に発信することが目的。2003 年以前にルーマニアのホロコーストを矮小化して伝えた当時のイオン・イリエスク大統領と、ルーマニアのホロコーストを否定したヴァシレ・ディンコ元情報相の公の発言を受けて設立された組織。
2005 年
オーストリア政府がホロコースト否定の罪でデビッド・アービングを逮捕。2006 年に懲役 3 年を言い渡されるが、同年 12 月にオーストリアを離れることを条件に釈放。
2005 年
カナダ政府はホロコースト否定の罪で裁判を受けさせるため、エルンスト・ツンデルをドイツに強制送還。ドイツの裁判所は 2007 年にホロコースト否定に関連した 14 の罪でツンデルを有罪とし、5 年の実刑判決を下した。
2005 年
12 月 14 日にテレビで生放送されたスピーチで、イラン大統領マフムード・アフマディーネジャードがホロコーストを「でっち上げ」と発言。
2005 年
日本の雑誌『マルコポーロ』にフリーランスの作家、西岡昌紀の「『ナチ・ガス室』はなかった」という記事が掲載。記事の中で西岡はホロコーストの事実はなかった、アウシュビッツのガス室は戦後にポーランド共産党政府が作ったものだと主張。
2006 年
イラン政府が「ホロコースト・グローバルヴィジョン検討国際会議」という学術会議でホロコースト否定主義者の匿名会議を後援。同年、イランの新聞『ハムシャフリ』のグラフィック編集者ファリド・モルタザヴィが受賞者に金貨と賞金を授与するホロコースト漫画コンテストの開催を発表。ホロコーストの否定や矮小化を取り上げる漫画など、60 か国以上から 1,200 件近くの投稿。その年の後半には、テヘランのサバ芸術文化研究所が、イランのマフムード・アフマディーネジャード大統領の後援で、コンテストで選ばれた 200 点の漫画の展覧会を開催。
2007 年
1 月 26 日、国連がホロコーストの否定を非難する決議を採択。総会では、ホロコーストの否定は「あらゆる形態の大量殺戮の承認に等しい」とする宣言が行われる。
2008 年
欧州連合(EU)が人種差別や外国人排斥との闘いに関する枠組み決定(2008/913/JHA)
を採択。この決定の中にはホロコーストの否定を法で処罰することを EU 加盟国に求める内容が含まれる。
2009 年
英国生まれのローマカソリック司教リチャード・ウィリアムソンが、ガス室の存在を否定し、ホロコーストでの殺害規模は最小限とする見解を表明。教皇庁はウィリアムソンに発言を撤回するよう命令。従わない場合は破門すると通告。
2009 年
クー・クラックス・クランの元指導者デービッド・デュークがホロコーストを否定し憎悪を煽ったとしてチェコ当局によって逮捕。国民抵抗(Národní odpor)グループに招かれカレル大学で講演を行う予定だったが、翌日、チェコ政府により出国を命じられる。後にプラハの国家検察庁は、証拠不十分を理由に告発を棄却。
2010 年
ブラッドリー・スミスが、2 月にウィスコンシン大学の「Badger Herald」の Web サイトにスミス初のホロコースト否定のオンライン広告を展開。アクセスが容易で正当と思われる間違った匿名情報がすぐに流布するインターネットは、今日においてホロコーストを否定するための主要な手段として利用されている。
2010 年
オランダの控訴裁判所は、ホロコーストがユダヤ人によって捏造または誇張されたものであることを示唆する漫画を 2006 年に Web サイトに掲載したとして、アラブ・ヨーロッパ連盟(AEL)に 2,500 ユーロの罰金を科した。AEL によると、デンマークの新聞が預言者ムハンマドの漫画を掲載したことを受け、同団体は言論の自由における二重規範を浮き彫りにするために漫画を掲載したとのこと。また、裁判所は AEL を 2 年間の執行猶予処分にした。
2010 年
リトアニアは刑法を改正し、リトアニアでのナチスやソ連による犯罪を否定したり、
明らかに矮小化したりすることを禁止する法律を規定。
2010 年
リトアニア当局は近年可決されたホロコースト否定に関する法律の下で、ニュルンベルク裁判を「史上最大の茶番」と呼ぶ記事を掲載したとして、リトアニアの雑誌『ヴェイダス』を調査。国内の調査員により、著者にホロコーストを否定する意図はなかったことが明言され、2011 年初頭に調査は終了。
2011 年
エジプトのワフド党の副党首がワシントン・タイムズのインタビューで、9 月 11 日のテロ攻撃、ホロコースト、アンネ・フランクの日記はすべて歴史の捏造と発言。アフマド・エズ・エルアラブは「ホロコーストは嘘」としたうえで、「ドイツ占領下のユダヤ人は 240 万人だった。もし全滅したのなら、残りの 360 万人はどこから来たのか」と疑問を提示。
2012 年
ギリシャの極右政党「黄金の夜明け」の党首ニコラオス・ミハロリアコスが、ホロコースト時のナチス強制収容所のガス室の存在を否定。テレビ放送されたインタビューの中で「焼却炉もガス室もなかった、そんなものは嘘だ」と発言
2012 年
サウジアラビアの聖職者サルマン・アル・オーデがロタナ・ハリディア TV で次のように発言。「ホロコーストには歴史的な根拠があります。多くが文書として残され、事実に基づいています。問題は何といってもホロコーストの誇張であり、今では途方もない作り話と化していることです....何千年もの間、ユダヤ人は迫害や国外追放、殺害、告発の対象になってきました。その多くは彼らの道徳的価値観、背反的な性質、陰謀、策略に起因するものであり、そのために他国から警戒されるようになったのです」
2012 年
ルーマニアの欧州議会議員であり、民族主義の大ルーマニア党のリーダーであるコルネリウ・ヴァディム・チューダーが、トークショー「Romania a la Raport」でホロコーストを否定。チューダーは「ルーマニアではホロコーストはなかった。私は同胞を愛しているから死ぬまで否定し続ける」と発言。
2013 年
ホロコースト国際デーにエジプトのモハメド・モルシ大統領の側近であるファティ・シーハブ・エッディムが、ナチスに殺された 600 万人のユダヤ人は実際にはアメリカに移住したと主張。「ホロコーストは、第二次世界大戦中、米国の情報機関が連合国の情報機関と連携して敵国のドイツにおけるイメージを破壊し、戦争行為や枢軸国の軍事施設や民間施設への大規模攻撃を正当化するためにでっち上げたものだ。中でも広島と長崎への原爆投下を正当化するためのものだ」と発言。
2013 年
ジェルジ・ナジがハンガリー人として初めてホロコーストを否定した罪で有罪判決。2011 年にブダペストで行われたデモの際、ナジが掲げていた看板にはヘブライ語で「ホロコーストなど起こらなかった」と書かれていた。裁判所は彼に 18 か月の懲役と執行猶予を言い渡した。刑の一環としてブダペストのホロコーストメモリアルセンター、アウシュビッツ、ヤド・ヴァシェムのいずれかを訪問することが義務付けられている。
2013 年
当時、国際ホロコースト追悼同盟に加入していた 31 か国が、否定や歪曲が表面化する過程を説明した「ホロコーストの否定と歪曲に関する仮定義」を採択。2013 年以降、数か国がこの定義を同問題に対する指針として国家レベルで採用。
2014 年
ドイツ国家民主党(NDP)の元党首ウド・フォークト氏が欧州議会の「人権と司法、内務委員会」の任命を受ける。ネオナチの思想を支持する NDP のリーダーであるフォークトは、アドルフ・ヒトラーを称賛し、ホロコーストで殺害されたユダヤ人の数は 600 万人を遥かに下回ると主張。「民衆を扇動した」罪で有罪と宣告。
2014 年
2014 年、公的な行事であるノウルーズの演説で、イランの最高指導者アヤトラ・アリー・ハーメネイが「ホロコーストという出来事は事実なのか定かではなく、もし本当に起こったことだとしても、それがどのようにして起こったのかは不確かです」と発言。
2014 年
ロシア連邦は刑法を改正し、ホロコーストの否定と「第二次世界大戦中のソビエト連邦の活動に関する虚偽のデータ」を流布する行為を有罪とする条項を規定。
2015 年
政府が後援するイランの 2 つの文化団体、最高メディア・アート協会とサルチェシュメ文化複合体が多くの国の漫画家からの応募を期待する第 2 回ホロコースト漫画コンテストを発表。
2015 年
ドイツの裁判所が、アウシュビッツが労働収容所以外の何物でもないことは「はっきりとわかる」という手紙をデトモルト市長に書き送ったウルスラ・ハーバーベックに対し、反逆罪で有罪判決。彼女がメッセージを送ったのはデトモルト裁判所でアウシュビッツ収容所の元看守であったラインホルト・ハニングの審理が進められる中のこと。2014 年には「ホロコーストは史上最大かつ最も長く続く嘘」と発言したことで裁判にかけられていた。
2015 年
ルーマニアが、ホロコースト否定に対する既存の法律を改正し、ルーマニア鉄衛団の遺産やイメージを想起させる歪曲や否定の形態を追加。
2015 年
ハンガリー政府が、戦争やホロコーストの時代に反ユダヤ主義政策を支援し、反ユダヤ主義的な思想を支持していたハンガリー政府の高官バーリント・ホーマンに敬意を表し、像を建てるための資金を提供。2015 年後半、ハンガリーの高官らがホーマンの負の歴史遺産的な要素を理由にプロジェクトの中止を提言。
2015 年
ウクライナ政府がいわゆる脱共産主義を目的とする法律を成立させる。これらの法律では共産主義者やナチスのシンボルの使用を禁止しているが、ある条項では反ソビエトの抵抗運動に関わった特定の国民的英雄を批判することも禁止している。その中にはホロコースト時代にナチスへの協力やユダヤ人およびポーランド人に対する犯罪への関与が歴史的に記録されている人物が含まれる。
2016 年
ホロコースト国際デーに最高指導者のアヤトラ・アリー・ハーメネイが「ホロコースト:暗黒時代は終わったのか」と題する動画を自身の Web サイトに公開。動画の中で第二次世界大戦中にナチスが 600 万人のユダヤ人を大量虐殺したことに疑問を呈した 2014 年のコメントを掲載。
2016 年
第 11 回テヘラン国際漫画ビエンナーレでのホロコーストを題材にした漫画 150 点の展覧会を、テヘランのイスラム普及機構の芸術分科会で開催。その 2 週間後、ホロコースト漫画コンテスト受賞者の表彰式が行われ、テヘラン現代美術館の館長であり、イスラム文化指導省の視覚芸術部門責任者でもあるマジッド・モラノルージが授賞式に参加。報道によれば賞金総額は 50,000 ドル。
2016 年
ポーランド内閣が、占領下のポーランドでナチスドイツが運営していた死の収容所を指して「ポーランドの(死の収容所)」と言及した場合に懲役刑を課す法案を承認。同法案では、ポーランド人がナチスのユダヤ人絶滅施策に加担したと主張することも犯罪行為とされる。
2016 年
国際ホロコースト追悼同盟が「反ユダヤ主義に関する法的拘束力のない仮定義」を採択。この定義にはホロコーストの否定がいかにして反ユダヤ主義の一形態となるかも示されている。2016 年以降、20 か国以上の国が国家レベルでの利用を目的にこの定義を採用。
2018 年
ポーランド政府が 1 月に国家記銘院法を改正し、ナチスの犯罪を「事実に反して」「ポーランド国民またはポーランド国家の責任または共同責任」に帰する主張を犯罪とする規定を追加。当初の改正ではこのような行為を刑事上の犯罪としていたが、6 月に政府はこのような主張を民事上の犯罪とするよう法律を改正。
2018 年
ローマ市長が、イタリアのファシストおよびファシストとして知られていたイタリア市民の名にちなんだ街区の名称を変更するよう指示。
2020 年
ドイツ政府が、ホロコーストの否定と歪曲に対するグローバルタスクフォースの創設に専用資金を配分。