<p>ナヴァフルダク付近のナリボキ森林に集まるユダヤ人パルチザン。 1942年か1943年、ポーランド。</p>

ユダヤ人パルチザン

ユダヤ人パルチザン ゲットーおよび収容所から何とか逃れた一部のユダヤ人は、独自の戦闘集団を形成しました。このような戦闘員(パルチザン)は、深い森林地域に集結していました。占領下のソ連地区の大規模なパルチザンのグループは、リトアニアの首都ヴィリニュス近郊の森に隠れていました。彼らは、数百もの列車を脱線させ、3,000人以上のドイツ兵を殺害しました。

深い森林内でのパルチザンとしての生活は過酷なものでした。人々は、発見されるのを避けて場所を転々とし、農家の備蓄食料を奪い、丸太と枝で創った粗末な隠れ家で冬を過ごさなければなりませんでした。地元の人々がパルチザンに対して協力的な地域もありましたが、多くの場合、反ユダヤ主義が広範囲に及び、また支援した場合の厳しい処罰を住民が恐れたため、支援を受けることはできませんでした。パルチザンは、ドイツ軍に自分たちの居場所を知らせる地元の通報者に絶えず怯えながら生活していました。

多くのユダヤ人は、フランスとイタリアで結成されたパルチザン部隊に参加し、正規の連合国軍がドイツ軍を攻撃するのを支援しました。彼らは、文書や身分証明書を偽造し、反ナチスのパンフレットを印刷し、ナチスの協力者を暗殺しました。

23歳のハンナ・セネシュは1939年にパレスチナに移住したハンガリー系ユダヤ人で、レジスタンスと救援活動を組織するために英国がドイツ戦線に投入した32人のパレスチナ落下傘部隊員の1人でした。1944年6月7日にハンガリーの国境を越え、ハンガリー系ユダヤ人に絶滅収容所について警告する前に、セネシュは詩人でもあったため、彼女の仲間の1人に詩を渡しました。その詩は、「恵みあれ。死を賭しても名誉を守る強い心に。恵みあれ。燃え立つ炎となるマッチの命に。」という行で終わっています。セネシュは翌日に捕らえられ、ハンガリーの裏切り者として処刑されました。

重要な日付

1941年7月20日
ミンスクでゲットー設置命令、レジスタンスを誘発

1941年7月20日、ドイツ軍がミンスクでゲットーの設置を命令します。ゲットー設置後の数日間で、数千人ものユダヤ人が虐殺されます。ゲットーに住むユダヤ人は1941年8月に地下レジスタンス組織を結成します。この地下組織のメンバーはゲットーの住人に情報を広めるために出版物や新聞を発行します。さらに地下組織は、ゲットーのユダヤ人に隠れ場所を見つけるためにゲットー外部のパルチザン組織とも連絡を取り合います。1942年3月、ドイツ軍はミンスクのゲットーで数千人を虐殺するという行動を起こします。その後すぐに地下組織のメンバーはゲットーを離れて森へ逃れてパルチザン組織を結成し、ドイツ軍と戦います。森を拠点とするパルチザンはユダヤ人をゲットーから救出し、森に連れ出します。1944年までに約1万人のユダヤ人がミンスク・ゲットーから森へ逃れようとしますが、その多くが途中で命を落とします。

1942年1月
フランスのユダヤ人軍隊

フランスのトゥールーズで、シオニスト青年部によってユダヤ人軍隊(Armee Juive、AJ)が結成されます。この軍隊はフランス全土で活動を行いますが、特に南部での活動が活発です。メンバーはユダヤ人と非ユダヤ人の青年やレジスタンス組織から採用され、軍隊およびサボタージュ活動で訓練を受けます。またメンバーは、ユダヤ人救援組織へ分配するための現金をスイスからフランスへこっそり持ち込みます。この現金は隠れ家に住んでいる何千人ものユダヤ人を助けます。ユダヤ人軍隊はドイツ人に協力する人の何人か暗殺し、国境を超えて中立国であるスペインに、約500人のユダヤ人と非ユダヤ人を密かに入国させます。1943年と1944年にユダヤ人軍隊は、シャルル・ド・ゴール将軍が率いるフランス国内軍(FFI)を含む連合国軍と密接な関係を築きます。1944年、フランス解放の最中にドイツ軍占領に対するパリ、リヨン、トゥールーズで蜂起する反乱にユダヤ人軍隊も参加します。

1942年1月21日
ヴィリニュスの統一パルチザン機構

ヴィリニュス郊外のパネレイで起こった大量虐殺のニュースを聞いてシオニスト青年活動のメンバーは、ヴィリニュス・ゲットー内に統一パルチザン機構(Fareynegte Partizaner Organizatsye、略称FPO)を創設します。この組織はゲットーを破壊すると脅かされる場合に備えてドイツ軍への抵抗運動の準備をします。また、武器を獲得したり、レジスタンスを支援するため、その他のゲットーと連絡を取り合います。1943年9月初旬、ユダヤ人をゲットーから移送する途中のドイツ軍と、FPOメンバーによるレジスタンスが戦闘を行います。FPOはゲットーを放棄して近隣の森へ逃れ、ゲットーの外からドイツ軍と戦うことを決意します。1943年9月23日、ゲットーの破壊に、レジスタンス兵士の最後のグループが下水道を通じてゲットーを逃れ、ルドニンクとナロチの森を拠点とするパルチザン部隊に合流します。

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