1942年の夏、約30万人のユダヤ人がワルシャワからトレブリンカに移送されました。絶滅収容所における大量殺戮のニュースがワルシャワのゲットーに漏れ伝わってきたとき、ほとんどが若者からなる生存者グループがZ.O.B.という名前の組織を作りました。Z.O.B.はポーランド語でユダヤ人戦闘組織という意味のZydowska Organizacja Bojowaの頭文字を取ったものです。Z.O.B.は、23歳のモルデハイ・アニエレヴィッツの指揮の下、ユダヤ人たちに列車に乗らないように抵抗するよう呼びかける声明を出しました。1943年1月、ゲットーの住民を集めて移送しようとしたドイツ軍に対してワルシャワのゲットーの戦闘員たちが発砲しました。戦闘員たちはゲットーに密輸したわずかな武器を使いました。数日後、ドイツ軍兵士は退去しました。ゲットーの戦闘員には、この小さな勝利は今後のレジスタンス活動に覚悟を決める上で励みとなりました。
1942年7月28日 ユダヤ人戦闘組織が結成される ワルシャワのゲットーからトレブリンカ絶滅収容所への移送の第一波が進行中に、ユダヤ人戦闘組織(Zydowska Organizacja Bojowa、ZOB)が結成されます。1942年7月22日、ドイツは大量移送を開始します。それは1942年9月12日まで実質的に中断されることなく続けられます。この期間に、25万人を超えるユダヤ人がゲットーから移送されるか殺害されます。ZOBは、ユダヤ人青年団のメンバーによって構成され、ゲットーのユダヤ人に移送に抵抗するよう呼びかけます。移動虐殺部隊によるユダヤ人の虐殺や絶滅収容所でのユダヤ人の虐殺についての報告は既にゲットーに届いていました。しかし、ZOBはまだ蜂起する準備ができていません。9月に移送が終わった後、ZOBは政治的な地下組織のメンバーを入れて拡大し、訓練と武器と火薬類を提供してくれるポーランドレジスタンス軍との連絡を確立します。モルデハイ・アニエレヴィッツが指揮官に任命されます。
1943年1月18日〜21日 ドイツ軍が抵抗に遭遇する ドイツ軍はワルシャワのゲットーからの移送を再開します。しかし、今度はZOB(ユダヤ人戦闘組織:Zydowska Organizacja Bojowa)の抵抗にあいます。早朝の一斉逮捕にZOBは不意を突かれ、人々は通りに出てドイツ軍に抵抗します。他のユダヤ人はゲットーに引き上げ、用意してあった隠れ家に逃げ込みます。ドイツ軍は排除が滞りなく進むと思っていたので、レジスタンスに驚きます。報復措置として、1月21日に1,000人のユダヤ人を中央広場で虐殺しますが、移送は一時停止します。ドイツ軍は5,000〜6,500人のユダヤ人を移送または殺害することができました。抵抗運動の結果に勇気付けられて、ゲットーのユダヤ人は全面的な蜂起を計画し準備します。戦闘組織は団結し、戦略が立てられ、地下壕とトンネルが構築され、屋根伝いの通路が建設されます。ワルシャワゲットーのユダヤ人は最後まで戦う覚悟はできています。
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